アジアの棚田について 

棚田に対しての関心が高まる

 アジアではコメや稲作風景は身近な存在です。夏に雨が降るアジアの風土に適した稲は、それぞれの地方で独特の景観を作っています。平地の水田の整然と田植えされた稲、急斜面 の畑に植えられた陸稲、デルタの湿地帯の浮き稲、そして山間部の階段状の棚田の稲・・・。

 コメの作付け面積は世界的にみればこれからも増え続けるといわれています。21世紀に向かって、人口増加による食料不足はますます深刻な問題となっていくことでしょう。栄養的にもバランスのいい穀物で、粉にひく必要もなく食べられる便利さがあって、しかも美味しいというコメは、需要がますます高まると予想されています。

 しかし日本では、戦後食生活が欧米化してしまい、コメの消費量 は減りました。アジアでは、経済発展してくると、主食としてのコメの個人消費量 は減るという傾向があります。今では、日本だけではなく、台湾、シンガポールをはじめ、ほとんどの国が同じような状況になりつつあります。

 日本では、コメの消費量減少にともなって、山間僻地にある棚田は、生産効率が悪いと年々つぶされてきました。ところが最近、逆に棚田に対しての感心が高まってきました。皮肉なことに、なくなってみてはじめて棚田の重要性が再認識されました。 棚田はコメの生産現場としてだけでなく、ひとつの文化遺産として、また国土保全の機能をもつ「緑のダム」として、自然環境という面 から再評価されています。

「日本の棚田百選」認定

 1999年7月26日、農水省によって「日本の棚田百選」が認定されました。(実際は117市町村、134か所) 
 棚田(たなだ)は「千枚田(せんまいだ)」と呼ぶ地方もあり、英語ではRice Terrace(ライステラス)です。中国では「梯田(ティ−ティエン)」といいますが、ただし水田だけではなく、段々畑のことも含みます。

 日本での棚田の定義は、傾斜1/20(20m進んだ時に1m上がる傾斜)以上の斜面 にある階段状の水田のことで、面積1ha以上の棚田は全国に13,882か所、901市町村にまたがっています。総棚田面 積は、水田面積270万ha(1997年)の8%に当たるということです。

 ■ 詳しくは、棚田学会シンポジウム・レジュメ「日本の棚田」

 アジアの棚田

日本の棚田百選をめぐる旅

 私はここ何年かアジアのコメ文化というテーマで撮影しています。特に棚田は中国南部、インドネシア、フィリピンなどを撮影してきました。そんなおり、「日本棚田百選」が認定されました。それでこの「百選」のリストを頼りに、日本の棚田をまわってみることにしました。1999年9月のことです。

 カメラ器材、キャンプ道具、マットレス、毛布などを、1ヶ月単位 で安く借りた軽のバン・タイプの車に詰め込み、3週間かけて北陸、関西、中国地方の36ケ所の棚田をまわりました。

 正直にいうと、日本の棚田なんか2、3ケ所まわったら、どこも同じだろうと高をくくっていたのですが、そんなことはありませんでした。各地ごとにバリエーションがあり、規模こそ中国の棚田には及びませんが、きれいに草が刈り込まれた畦道などは、几帳面 な日本人の民族性が表れているようでしたし、各地で出会うお年寄りから、昔は村のまわりにはもっと棚田がたくさんあって、ひとつひとつに月が映る「田毎の月」がとてもきれいだったよ、などという話しを聞くのも興味深いものがありました。

 ところで、ひとつ気がついたことがあります。それは、日本もアジアだなということです。当たり前のことですが、こういう理由からです。

 日本の田舎にいったとき、何度か、お茶や食事に呼ばれました。私は呼ばれたら断わらない主義なので、ありがたく御馳走になります。アジアの村でもよくお茶や食事に呼ばれます。もちろんアジアでも断わりません。また、アジアの山の中を旅しているときは、片言の現地語、英語、中国語で会話しているわけですが、なんと日本の田舎でも、ときどき方言が聞き取れずに、片言で会話することがありました。私は山形県出身なので、とくに九州の山奥のお年寄りの言葉は聞き取れないことがよくありました。そんなことがあり、「なんだ、アジアの旅とまったく同じじゃないか」と思ったわけです。(その発見は嬉しいものでした)

 「棚田百選」撮影旅行の第二弾として、2000年4月24日から6月23日にかけて、残りの棚田もまわり、134ケ所すべて見てまわりました。無謀な、あるいは、酔狂な計画だと思っていましたが、それなりに充実感と達成感はありました。2001年、2002年にも各地の棚田をまわりました。

 実際にまわってみると、棚田の事情が千差万別で、「棚田百選」と、ひとくくりに考えられなくなってしまいました。まったくコメを作っていない棚田や、耕作者がまだ百選に選ばれたことを知らない 棚田や、百選に選ばれてからマナーの悪いカメラマンがやってきて迷惑している棚田とか。 必ずしも「棚田百選」 が、耕作者にエールを送る役目を果たしていないという現実も知ることになりました。

 ただ、これは一部のことで、百選に選ばれて、何かやらなければという、農家の人たちが刺激を受けて、いろんなことを試行錯誤しているところではありました。長い目で見なければならないのでしょう。いずれにせよ、見捨てられようとしていた棚田にスポットライトが当たったことは、日本の農業の将来を考えるいいきっかけになっているのは、間違いないように感じました。

「美しい棚田?」

 ある日、地元の人に「写真にはいいでしょうけどねェ。実際棚田を作っている人たちは大変なんですよ。きれいきれいだけでは済みませんからねェ」と言われました。はっきり、嫌みを言われたわけです。そのとき、中国雲南省でのできごとを思い出しました。似たような経験があったからでした。

 雲南省中部に位置する元江県の谷の棚田を写真に撮っているとき、通 りかかったハニ族農民の男が「何をやっているのかね?」と私に聞いたのでした。私はなんのこだわりもなく「この美しい棚田を撮っているんですよ」と答えました。すると男は「美しい? どこが美しいもんかね」と、変わり者もいるもんだというふうに去っていきました。
 「そうか」と、私は男の後ろ姿を目で追いながら気がつきました。
 「美しい風景」と思わずいってしまったのですが、彼らにとって、これは美しい風景でもなんでもない、どこを見回してもありふれた普通 の風景なのです。生まれてからずっと見慣れてきた日常の風景・・・。美しいどころか、大げさに言うならば、むしろ厳しい労働と、貧しい生活の象徴でさえあったかもしれません。 

 でも私は正直言って、何千枚も連なっている大地の皺のような中国雲南省の棚田を目の前にしたとき、その悲しいまでの美しさに衝撃を受けました。「美しい」と表現する以外になかったのです。

 美しく作ろうと意識して作ったのではありません。ピラミッドのように権力者がこういう形を作ろうとして作ったものでもありません。ひとりひとりの農民が自然に従い、また闘ってきたことが、畦道の幾何学模様や曲線に結果 としてなったのです。自然と人間とのぎりぎりの関係、せめぎあいとでもいいましょうか、それが曲線に現れているような気がします。また、世世代代と稲作を続けてきた農民たちの生き方や歴史をも雄弁に語りかけてきます。

 私は棚田を見ると、人間の偉大さ、ちっぽけさ、勤勉さ、しぶとさなどが、複雑な思いとなって沸き起こってきました。人間そのものが見えるといったら、大げさでしょうか。棚田の美しさの本質はそこにあるように思います。棚田は、自然と人間との関係が生んだ究極のアートではないでしょうか。

 だからこそ私は棚田が美しいと声を大にして言いたいし、また写 真に撮りたいと思うのです。これが単なる自然の造形だったら撮ろうなどという気にならなかったに違いありません。

フィリピンの棚田

 フィリピン、ルソン島のコルディリア山脈のバナウェには、世界遺産に登録された山岳民族イフガオ族の棚田があります。登録されたのは1995年で、正式な登録名は「Rice Terraces of the Philippines Cordilleras」です。棚田として世界遺産に登録されているのは、唯一ここだけです。首都マニラからバスに揺られて10時間かかります。

  車の通れる道から歩いて2時間かけて山越えし、バダッド村へ向かいました。途中、槍をもったふんどし姿のおじいさんが、「わしの写 真を撮れ」と話しかけてきます。もう彼のような格好をしている住民はいません。彼は、観光客に自分の姿を写 真に撮らせてチップをもらい、生計の足しにするモデルさんなのです。

 すり鉢状の地形が棚田で埋まり、底には、バダッド村があります。1000年以上も前から棚田が作られているそうです。

 ここバナウェは、年間降雨量がかなり多く、3600mm。棚田上部にはさらに高い山が控えていて、森林が水を貯え、渓流となって下に流れ出します。棚田用の灌漑水は、その渓流に石を置き堰を作り、水路によって運んできます。水路は、長いところで数kmにも及ぶそうです。そして上の田に入れられた水は、下の田へと、順に流れてゆく構造になっています。

  田と田の段差は2mから5m程度です。 急な坂で、農道のようなものは見当たりません。機械どころか、水牛さえも田んぼまで辿り着くことができないので、農作業は、すべて人間の手作業に頼るしかありません。雨が降ると、ただでさえ狭い畦道は、滑って危険です。しかしそれが唯一、農作業や日常生活の通 路なのです。

 ここは、棚田を見に外国人がやってくる観光地でもあります。東洋人は少なく、訪れるのは、もっぱら西洋人です。自分の家の周りにある珍しくもない田んぼを、わざわざフィリピンまで見にくる東洋人は少ないということでしょうか。

 ここで観光客相手にゲストハウスを経営している40歳になるシモンの話では、彼が子どものときは、村人はまだ民族衣装で暮らしていたし、田んぼでコメを作り、自給自足の生活を送っていたそうです。外界との接触も少なく、それは、小宇宙といっていい世界でした。

  しかし、世界中同じように、ここでも貨幣経済が浸透し、やがてより良い生活を夢見て、町に働きに出た若者たちは、もはやきつい労働が待っている棚田の村には、戻らなくなってしまいました。

インドネシア・バリ島の棚田

 インドネシア、バリ島の内陸部、芸術の村ウブドゥ周辺にもたくさんの棚田が点在します。

 バリ島は、また千年前に作られた「スバック」と呼ばれる水利管理組織で有名です。バリ・ヒンズー教が主体になった宗教色の強い組織で、「スバック」それぞれが持つ寺院では、祭りも欠かしません。定期的な会合では、水の管理や、管理費の徴集の相談をします。組合員はみんな協力して、水利施設のパトロールをし、水が配分計画通 りにきちんと流れているかをチェックします。大雨のあとなどは、水路に堆積した土砂を協同で掃除もします。

 ウブドゥから北へ6kmのテガラランには、有名な棚田があって、道路に面 したところには、土産物屋が店を開いています。大型バスが止まり、外国人観光客が、記念写 真やビデオを撮っています。ウブドゥ郊外には、棚田を見下ろせるリゾートホテルも建ちました。棚田は、ここでは観光地です。

 インドネシアがオランダの植民地だった1924年に、オランダ王立郵船会社とアメリカン・エキスプレス社共同主催のツアーがバリ島に立ち寄ったのが最初で、それ以降バリは、観光の島として発展してきました。 現在これだけ観光化が進んでいても、バリ人は日常の生活習慣や、宗教儀礼は淡々と続けています。観光客がこれ以上踏み込んだら許さないというぎりぎりのところで外国人を扱っている彼らのバランス感覚にはおそれいります。それも長年にわたる観光業の伝統があるからでしょうか。

 しかし、そのバランスも危ういところまで来てしまったという話も聞きます。観光客が増え、ホテル用の水が大量 に必要になり、農業用水を、そちらに転用しなければならなくなりました。生活排水が、用水路に流れ込み、灌漑用水が汚れ始めています。将来も、このまま美しい棚田や田園風景を維持することはできるのでしょうか。

韓国の棚田

  韓国の棚田については、韓国のページでどうぞ。

イランの棚田

  イランの棚田については、イランのページでどうぞ。

マダガスカルの棚田

  マダガスカルの棚田については、マダガスカルのページでどうぞ。

棚田保存について

 日本で棚田があるのは山間部で、そこはお年寄りの密度が高くなります。知り合ったおじいさん、おばあさんから、棚田のことや昔話を聞いているうち、「棚田を保存しよう」というのは、たいへんなことだなと感じました。高齢者しかいなくて、とてもじゃないが棚田での労働ができないところもあり、そんなところを何がなんでも保存しなければというなら酷な話しかもしれません。

 人の死と同じように、文化にも尊厳死が認められていいのではないかと思いました。あるおじいさんは言いました。「あと5年もすれば棚田もなくなっちまうよ」と。その言い方はさばさばしていて、そこでは(あくまでもその地域では)、棚田の「大往生」といってもいいのではないでしょうか。

 もちろん私は棚田保存に水をさすつもりもないし、むしろ保存する意義は認めています。各地には「棚田貸出し制度」「棚田オーナー制度」とか、町の人が手伝ってくれる棚田もあって、そういう積極的な活動が行われているところは実際保存できるでしょう。
 また輪島市白米のように観光地として生き残ることもできるでしょう。またコメに「棚田米」としての付加価値を付けて、高く売ることで維持することもできるかもしれません。

棚田を「保存する」から「活用する」へ

 今まで、棚田を作ってきた人たちの中には、棚田が自分たちの代でなくなってしまうのも、ある意味、時代の流れだから仕方ないと考えていた人たちもいたようです。ところが、突然「棚田百選」に選ばれて、戸惑っている様子もうかがえました。そこで何とかしなければならないと思ったとき、棚田耕作を手伝ってもらうボランティア制度を導入するところもあります。しかし耕作者のほうには、「手伝ってもらう」という意識があり、ボランティアの人たちが来たときは、接待しなければならないと考えてしまい、かえって疲れてしまう。しかも日頃の田んぼの管理は耕作者たちがやらなければならず、結局仕事の量 は同じで、「どっちがボランティアだかわからない」という農家の人もいました。

 そこで、棚田を「保存する」ではなくて、「活用する」という発想の転換をしてみてはどうかと提案している人たちがいました。

 それはどういうことかというと、農業をやりたいと思っている若い人も増えていて、きっかけがあれば農村に移住するというのです。お年寄りがいくらがんばっても、やはり体力的な問題で、棚田を維持するのは難しい。そこで若い人に住んでもらう。コメを作ってみたいと思っている人に、棚田を活用してもらうわけです。

 棚田を「保存する」ためにコメを作るのではなくて、純粋に農業をやってみたいと思っている若い人。そういう人に来てもらう。そしてその人たちが、棚田を活用してコメなり、野菜なりを作れば、結果 的に棚田は続けられるのではないかということです。もちろん「保存しなければ」と使命感に燃えて始めてもいっこうにかまわないわけですが、そういうのは長続きしないのでは?ということです。とにかく、農業をやりたいからやるという人で十分でしょう。ただ、現金収入をどうやって得るかという問題は残りますが。棚田だけで生計を維持するのは、もはや日本では不可能に近いことです。

 新潟県松之山町に住んで田んぼを作っている知人はライターだし、高知県檮原町の棚田に住みはじめた人も、コピーライターだそうです。パソコンがあれば、どこに住んでいようが仕事はできるというSOHO的な副業を持つことは、将来、農業をやっていく上で、必要になっていくのかもしれません。

 そして、ある地域のオーナー制度を導入しているところで聞いた話なのですが、町の人に来てもらうのは、コメ作りを手伝ってもらうというよりは、自分たちが町の人たちとの交流を楽しむためで、一方、町の人は町の人で、村の人たちが提供する新しい「癒しの空間」で癒され、リフレッシュして町に帰っていくというのです。グリーンツーリズムというのでしょうか。

 ここには「手伝ってもらう人」「手伝う人」という関係ではなく、もっと対等な関係があります。これならば、長続きするでしょうし、農村を維持する方法として、将来性のあるやり方ではないかと思いました。

 2004年の正式発足をめざし、NPO法人 棚田ネットワークが主体となり、「棚田協力隊」プロジェクトが立ち上げられました。棚田耕作を手伝ってほしい山村側、手伝いたい都市側、両者をつなぎたいNPOが協力して、棚田を保全するプロジェクトです。棚田に関して新しい動きが始まったな、という感じがします。

  棚田協力隊についての詳しいことは、こちらで

棚田を撮る私の立場

 棚田の話は、農業問題だけの話にとどまりません。私たち日本人のライフスタイルを考え直す時期に来ている、その象徴的な意味も含んでいるように思います。

 近代文明は、曲線を直線に変えることに血眼になってきました。ところが、例えば河川など、直線にしたことによって洪水が増えたり、小動物がいなくなったりということに気がつき、また曲線に戻しているところさえあります。曲線だらけの棚田は、「効率的」「経済的」「近代的」という言葉からは対極にあります。その棚田が今注目を集めていることに、私は、日本人の自然に対するバランス感覚をみることができ、まんざら日本人もすてたもんじゃないと、希望を持ちます。この自然豊かな島国で何千年にわたって培われてきた自然との関わり方はまだ健在なのです。「効率的」「経済的」「近代的」な方向に行き過ぎた日本人の生き方でしたが、ようやく「今までのやりかたでは幸福になれない」と気がつき、揺り戻しの作用が働いてきたと見えるからです。

 部外者だから言えることかもしれませんが、棚田の美しさは、やはり美しさに変わりありません。美しいものを美しく撮る。時代の記録として美しく撮る。私が棚田を「美しい」といっている意味は、わかっていただけたのではないでしょうか。

 どこの棚田だったか、耕作者から言われたことがあります。「棚田は残らないかもしれない。だから、きれいな棚田を記録しておいてください」と。私のやるべきこと、私にやれることは、やっぱり棚田を記録することなんだろうなと、そのときあらためて思いました。

  写真家である私は、記録者であるにすぎません。そして写 真を見た人が、こんなに美しいものなら、なんとか保存しなければと思うかもしれないし、あるいは旅好きな人が、こんなに美しいところなら一度いってみようと思うかもしれません。それこそ、ここでコメを作ってみたいと思う若い人が現れるきっかけになるかもしれません。それはそれでいいのです。

 ただ、そのために、やはり美しいものは、美しく撮ろうと思っています。「きれいな」写 真ではなくて、「美しい」写真を。

写真家 青柳健二

 

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