マダガスカル  棚田とコメ食品
 

マダガスカルの棚田

マダガスカルに行こうと思い立ったのは、「棚田がある」と聞いたからでした。ここずっとアジアの棚田を撮影していて、「棚田病」とでも言えるほどこだわっています。

情報を発信すれば、情報が入ってくるのがネットの特徴。棚田のホームページや、雑誌、写真展で発表していると、ここにもある、あそこにもあると、棚田情報が入ってきます。それで私の性格上、聞いてしまえば行ってみないと気がすまなくなってしまいます。

「マダガスカルにある」と初めて聞いたとき、アフリカ(マダガスカルをアフリカの国といっていいのか疑問ですが)に棚田?と半信半疑でした。棚田はアジアにしかないと思い込んでいたし、そもそもマダガスカルがどこにあるかも正確には知りませんでした。

調べてみると、コメの生産量が世界第20番目で、一人当たりの年間のコメ消費量にいたっては、世界でもトップレベルであることがわかりました。これだけコメを食べる国に、猛烈に興味が出てきました。「棚田病」のウイルスがまた活発に活動を始めてしまいました。

さて、棚田ですが、標高1500m前後の中央高地は、どこへいっても棚田だらけといっていい状態でした。イランのように、棚田を探す必要もありません。ある意味、世界でも有数の棚田地帯といってもいいでしょう。というのも、今回は車でアンタナナリヴから700km離れたイサル公園まで南下しましたが、アンバラヴァウまでずっと棚田地帯なのです。途中、町があったり、山林があったり、畑が多くなったりしますが、水田が主、しかも棚田が主であると言ってもいいでしょう。2日半、棚田地帯を走り続けるかっこうになりました。

「田んぼ」のことを、マダガスカル語で「タンニバーリ」といいます。本当は、「タニンバーリ(tanimbary)」らしいのですが、「タンニバーリ」と聞こえました。そして、これが早口で言われると「タンバ」「タンボ」と聞こえて、思わずびっくりしてしまいます。もちろん偶然ですが。ちなみに「コメ」は「ヴァーリ(vary)」といいます。

アンバラヴァウの手前に、ちょっとした峠がありますが、ここを越えたとたん、急に雰囲気が変わります。サバンナ気候の「アフリカ」的な風景に変わってきます。サボテンやヤシ、マンゴーの木も増えます。さらにイサル公園手前は見渡す限りの草原地帯で、基本的に水田は少なくなりますが、まったくなくなるわけではありません。草原の水田で、田植えをやっている集団にも会いました。

棚田地帯は、ちょうど稲刈りが始まる季節でした。「秋」と呼んでいいんでしょうか。稲刈りもそうですが、柿の木には柿の実がなって、沿道でも柿売りがたくさんいました。(ちなみに、現地でも柿のことは「カキ」と呼んでいます。1個100アリアリくらい。熟して甘い柿です) 畦道にはコスモスも咲いています。トンボも飛んでいます。まるで、アジアのどこかにいるようです。

 

ある農家の話

アンブシトラ郊外の農家の主人は、ラライベーロさんといい、キリスト教徒で85歳でした。彼の息子さんたちが、3階建ての民家の庭先で作業中。ビニールの前掛けをつけ、専用の石に稲を打ちつけて脱穀していました。飛び散った籾が庭先に散乱しています。民家の西側に棚田が広がっていて、稲刈りをやっている人の姿が見えました。そこで刈られた稲が、ここに運ばれてきて脱穀されます。

脱穀された籾は天日乾燥したあと貯蔵されます。当面食べるコメは3階の部屋に袋詰めにして積み上げられていましたが、残りは、庭先に掘られた直径1.5m、深さ2.0mほどの穴倉に入れられます。穴倉を見せてもらおうとしましたが、直系40cmほどの鉄板のフタがしてありました。フタは重石で押さえています。この大きさの穴倉は全部で3つあります。

穴倉は地下なので、いつも一定温度でコメを貯蔵するには都合がいいのでしょう。民家は、棚田のある高さと比べると、高い位置にあるので、水が流れてくる心配はなさそうです。家族が食べる1年分のコメは、ここに蓄えられています。売るほどの余裕はありません。全部自家消費だそうです。

ただこの地下貯蔵庫は、一般的なものなのかどうかはわかりません。アンバラヴァウ東部の村にいったとき訪ねた別の民家では、コメは2階建て建物の1階部分に貯蔵してありました。

ふたりの息子さんたちはそれぞれ家族を持っていて、この民家でいっしょに暮らしています。総勢15人の大所帯です。階ごとに2つづつ部屋がありました。かなり堅牢な建物です。窓はあまり大きくないので、中は薄暗く感じます。ガラス窓などはありません。

マダガスカルの伝統的な農家の玄関は、西側を向いているそうです。この家もそうでした。山口洋一著『マダガスカル アフリカに一番近いアジアの国』(サイマル出版会1991年)によると、それは東からの強風を避けるためという理由と、先祖が住んでいるのは西方向であるという彼らの宗教的観念とも関係があるとのことです。

2階、3階に、それぞれ囲炉裏(厨房)もありました。燃料は薪を使います。鍋が3つほど置いてありました。コメはこの鍋で煮ます。ひとつの鍋には、「ラビトト」が入っていました。この「ラビトト」というのは、キャッサバ(マニオク)の葉を細かくしたもので、この葉まで食べてしまう文化が世界中でどれほどあるかわかりませんが、マダガスカルではポピュラーな料理です。食感がまるでお茶の葉のようですが、これと、牛肉(ゼブ牛)といっしょに煮たものが、おかずになります。少量の「ラビトト」で大量のご飯を食べます。

部屋の中には、ベッドが置いてあります。布団(マット)も敷いてありました。寝るのはベッドと布団、両方使うんですね。3階の上、屋根裏部屋はちょっとした農具なども置いてありました。建物の外では、豚1匹、ゼブ牛4頭が飼われています。

棚田、山の森林、引いてきた水路、レンガ造りの3階建て民家、家畜たち、そして3代にわたる家族たち。これらすべて一体となって、昔から代々に伝わってきた、ささややではあるけれど、完成されたシステムであることを感じさせるのでした。この中で、どれひとつ欠けても、長くは続かないんだろうなと思いました。

 

ムルンダヴァの朝食

マダガスカルは、世界で4番目に大きな島(面積は日本の1.6倍)で、アフリカ大陸の東側に位置しています。大陸とは、モザンビーク海峡で隔てられていて、ムルンダヴァは、そのマダガスカル島の西岸にある港町です。

朝になると、湾の対岸の村から、漁民が魚を持って「ラカナ」と呼ぶカヌーでやってきます。エビ、カニ、色とりどりの魚。ムルンダヴァの市場で売るんです。漁民の女性の中には、日焼け防止のために、ある種の木を磨り潰した白粉を塗っている女性もいます。「美しさ」の表現?だとも聞きましたが、暗闇で突然遭遇したりすると、度肝を抜かれてしまいます。ミャンマーの女性も「タナカ」という同様の白粉を塗っています。

朝日が昇ると、毎日帆船が出航します。南部、トゥリアルの町や、海に面した小さな村々に人と物を運ぶためです。雨季ということもあって、海岸沿いに走る道は極端に悪路で、船で行ったほうが早いそうです。

アフリカを感じさせるムルンダヴァでも、食べ物を見ると、やっぱりアジアに舞い戻ったような錯覚に陥ります。朝、ムルンダヴァの町のマーケットにでかけていろんな物を試しました。

一般の人たちは朝食として、「ムフガシ」や「クバ」や「バリスス」といったものを食べます。「ムフガシ」は、米粉に砂糖を混ぜたものを、たこ焼き風に焼いた、マダガスカル風パンのことです。ほんとにたこ焼き器みたいな鉄板を使い、片面が焼きあがったら、クルッと裏返して、米粉を注ぎ足して焼き上げます。1個50アリアリ(約2.8円)。

「クバ」もマダガスカルではよく見かける朝の定番スナックですが、ムルンダヴァのものは、米粉と砂糖を混ぜて、ういろう状にした食べ物です。これも1切れ50アリアリ。

この「ムフガシ」と「クバ」に欠かせないのはコーヒーです。小さなホーロー・カップに入っていますが、1杯100アリアリ。コーヒー専門屋台では、奥の方で、炭火を使ってコーヒー豆を煎っているところでした。香ばしい匂いが漂ってきます。砂糖もあるので、お好みで入れて飲むことができます。かなり濃いコーヒーでしたが。

それと定番朝食は「バリスス」と呼ばれる粥ですね。白いコメのものもありますが、赤いコメの粥もあります。この粥と、ちょっとした惣菜、肉片といっしょに食べます。粥も1杯100アリアリです。

マダガスカルはコメの国。一人当たりのコメの年間消費量(約200kg)は世界でもトップクラスです。(ちなみに日本は、60kg弱) 1960年にフランスから独立しましたが、マダガスカルの文化はアジア方面から渡ってきたマレー系民族の文化とアフリカからの文化とが融合した独特の文化を持っています。 

コメを食べる文化は日本人にもなじみやすく、アフリカにあってアジアを感じさせる雰囲気がマダガスカルの魅力のひとつと言えるでしょう。

 

マダガスカルの料理

マダガスカルのヴィザは、東京にある大使館へ直接いって取りました。そのとき、職員から、マダガスカルの伝統的な料理について教えてもらいました。「トロンドロガシ」と「ルマザヴァ」というものがあるとのこと。

さて、その料理ですが、まず「トロンドロガシ」とは魚料理です。トマト、タマネギ、塩を使って淡水魚(鯉)の煮たものですが、すごくシンプルな料理です。淡水魚のことを「トロンドロ」といいます。田んぼの中にも住んでいます。これをおかずにして大量のご飯を食べるわけです。

マダガスカルの一般的な食堂のことを「Hotelyホテリー」といいますが、アンチラベのホテリーで食べたとき、値段は1600アリアリでした。もちろんご飯付です。それと「ラーヌ・ブラ」というお湯が出てきます。「ラーヌ・ブラ」を直訳すると「黄金の水」ですが、これはご飯を炊いた鍋にこびりついたおこげを洗ったお湯(だから、スープと言えるかどうか)だそうです。薄いほうじ茶のような味がします。

昔、中国西域(シルクロード)をロバ車で旅行していたとき、途中で泊めてもらった道路工事のキャンプで食事をご馳走になり、そのとき、「スープいるか?」と聞かれて「いりません」と答えたとき「どうせ洗うんだから、只だよ」と言われたのでした。つまりわざわざスープを作るのではなくて、料理を作ったあと、中華鍋をきれいにするためにお湯で洗うわけですが、そのお湯がそのままスープになるというものでした。一石二鳥というんでしょうか。少ない貴重な水を、節約する方法として感心したものです。

事情は中華料理とは違うかもしれません。西域では水が貴重だという理由でしたが、マダガスカルでは水よりもご飯(おこげ)でしょう。貴重な食料を無駄にしないという「意気込み」は感じられます。もっと言えば、貧しいところだからこそ、その習慣が「ラーヌ・ブラ」を生み出したのかもしれません。「トロンドロガシ」自体、凝った料理ではなくて、質素さを感じさせるものでした。

もうひとつ、大使館で教えてもらった「ルマザヴァ」ですが、こちらは煮込み料理(具の多いスープ)です。「ブレッド」という名の青菜、小タマネギ、ゼブ牛とトリの肉片が入り、トマト味です。ご飯付で2000アリアリ。味噌汁のようなコクもあり、それなりにおいしいものでした。

コメを使った料理(食品)については「ムルンダヴァの朝食」でも書きましたが、「クバ」についてもう一度。「クバ」は、首都アンタナナリヴや、アンチラベの町角でも見かけました。直径10cmほどのバナナの葉に包まれた三角柱状のものを輪切りにして売っています。100アリアリを出すと、幅5mmくらいの薄さにナイフで切って出してくれます。コメ粉、ピーナツ、砂糖(蜂蜜)が材料です。それほど甘くもなく、おいしい食べ物です。

マダガスカルに着いた初日、アンタナナリヴの街を歩いていると、この「クバ」売りがいたのですが、さすがの私も、なんだろう?と敬遠していました。サラミのようにも見えました。でも、これがコメ食品だとわかって、ぜひ食べてみたいと思うようになりました。先入観はよくありません。食べてみたら、けっこうおいしいのです。

また屋台では「ネム」と呼ばれる揚げ春巻きや、さつま揚げふうの食品もおいしかったです。

マダガスカルは、ゼブ牛肉がたくさん消費されています。飼われているゼブ牛は、人口よりも多いそうです。そのためか肉の中で一番安いのもこのゼブ牛です。私は旅の期間中、何度もゼブ牛料理を食べました。ゼブ牛のカレーふう煮込み料理、タン(舌)の煮込み。ステーキもうまかったですね。意外とやわらかくて癖もありません。

ゼブ牛の「ソシシ(ソーセージ)」「キトーザ(味付けした肉片)」も一般的です。お粥「バリスス」を食べるときは、この「ソシシ」や「キトーザ」などもいっしょに頼みます。「ソシシ」はゼブ牛肉ミンチと血をいっしょに詰めたものらしく、血の味がしてちょっと癖があります。日本人には好き嫌いが分かれるかもしれませんが。

写真家 青柳健二

 
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