韓国の棚田撮影旅行
 

 

 中国、フィリピン、インドネシア、ベトナム、そして日本全国の棚田をまわったあとで、そういえば韓国にも棚田があるのだろうか?と、素朴な疑問がわいた。あることはあるだろう。しかし調べてみると、隣国にもかかわらず、なかなか情報が手に入らないのである。「キムチ」や「焼肉」の情報は、嫌というほどちまたにあふれているのに、いざ、韓国の農村や田園風景がどんなかんじなのか知ろうとしてもなかなか分らない。「近くて遠い国」とはよくいったものだ。結局は、アジアのほとんどの国をまわってから、ようやく韓国にいってみようかなと思うほど、私自身も韓国に関しての関心は、正直高いとは言えなかった。

 ただ、日本の稲作文化、食文化を考える上で、はずすことのできない国ではある。国会図書館で「田」のマークがついている韓国の地図を探した。等高線の状態から、ここなら棚田かな?という場所も見つけたが、まるで偵察衛星から撮影した写 真をもとにCIAが敵のミサイル基地を捜し出しているような気分だった。

 そんなことをやっているとき、ある知人から、韓国の農業関係者を紹介してもらった。なんとか棚田の情報を得たが、あまり詳しいものではなかった。こうなれば、とにかく実際いってみるしかない。いつものことだが、自分の目で確かめるしかないのだ。だいたい3ケ所に絞ってでかけることにした。

 韓国にいってみると、どうして棚田の場所がよくわからないのかがわかった。ようするに、韓国人は棚田に興味を持っていないというのが一番の理由だ。私も棚田を撮る前は、棚田が見えていなかった。子どものころからまわりには普通 に存在していたのだが。やはり、風景というのは、意識しないと見えてこないらしい。「棚田」を意識して、はじめて、ここにもあった、あそこにもあったというふうに見えるようになるのである。だから、韓国でも人々が関心を持ち始めると、今まで隠れていた棚田が「発見」される可能性もないとは言えない。

 それともうひとつの理由として、韓国では、区画整理が行われて、細かい田んぼが広げられ、いわゆる曲線の美しい細かい田んぼはほとんど残っていない。山際に見つけても、すでに数年以上耕作放棄された荒れた田んぼだったりする。逆に言うと、整然とした棚田は韓国の田舎をまわっていると、いたるところで目にすることができる。だから棚田そのものが珍しいというわけでもない。

 そんな韓国だが、棚田と呼べるような棚田を見つけたので、いくつか紹介しよう。その前に、「棚田」は韓国語でどう呼ぶか聞いたところ、一般 的には「ケダンシッキノン(階段式田)」と呼び、昔からある言葉としては「タラックノン」と呼ぶそうだ。ただし「タラックノン」という言葉は若い人は知らなかったりする。日本でも「棚田」という言葉は最近ではいろいろとマスコミに取り上げられて知られるようになってきたが、何年か前までは、意味が分らない人がいたのと同じである。「タラックノン」とは、漢字で書くと「棚田」そのものらしいが、「タラック」は「屋根裏の物置き」だそうだ。韓国人の感覚では「上に続いている」「天と地の間」という意味があるらしい。

 全羅北道の全州は、ビビンパプ発祥の古都だが、その25km東に馬耳山というところがある。尖った山がふたつ並んだ特徴的な風景で有名だ。そのふもとにも階段式の水田があった。ただ、傾斜はゆるく「棚田」と呼べるか微妙なところだが。あいにくの雨が二日間続き、雨がやんだとき写 真を撮った。ここは、例の国会図書館の地図から自分で探した場所だったが、やはり、地図から想像していたのと実際の風景とのギャップは大きかった。

 馬耳山観光の拠点となる町、鎮安にある郡庁(役場)のリュウさんという方に話を聞いた。リュウさんは農業関係の仕事でなんども日本へいったことがあり、日本語もわかる。九州浮羽町の棚田へもいったことがあるそうだ。

 韓国は日本と同じような問題を抱えている。若者の農業離れや、農家そのものが農業をやめてしまうケースも多いという。それは簡単に言えば、食べていくのが難しいから。日本では、農業以外の仕事ができるところは、サラリーマン世帯よりも所得が多いことさえある。ところが、韓国ではなかなか兼業ができなくて、農家は農業の収入だけにたよらざるをえない。そこが日本と韓国との農民の違いだという。一見すると、韓国の農村風景と日本の農村風景はそっくりなのだが、そういう事情が微妙な違いとして現れているのかもしれない。来年、政府は伝統的農村を選定し、補助金を出す政策を始めるそうだ。韓国でも農業に対する危機感を持っているようだ。

 慶尚南道の河東では、農業技術センターのジョンさんにお世話になった。河東北部、国立公園になっている智異山のふもとにもたくさんの棚田があった。ただやっぱり細かい田んぼはほとんどなかった。整然とした直線の「階段式田」である。そして耕作放棄されて雑草が生い茂る田んぼもたくさんあった。「作る人がいなくなりました」と説明された。

 ジョンさんに案内されて河東から南の南海島へわたった。島といっても今では橋がかかっているので、朝鮮半島と陸続きのように感じる。ところで、この島の雰囲気が、九州とそっくりなのである。海を隔てた向こう側は九州なのだから当然と言えば当然なのだが。地理的な近さもあるが、歴史的には紀元前の昔からずっと交流があった(その中には不幸な交流もあった)。そもそも稲作が日本にもたらされたルートとして、朝鮮半島を経由した可能性もある。

 棚田があるところは、ガチョン面といった。南海島の南部である。階段状に棚田が連なり、その中間に民家がまとまっている。アジアの棚田はかなり見てきたが、日本のような海に面 した棚田というのは他の国にはなかった。バリ島に棚田は多いが、意外と海そばでは傾斜がほとんどなくなってしまい、棚田と呼べる田んぼではなかった。ところが韓国には、こうしてあった。(海に面 した棚田は日本独特のものと、いろんなところで言ってきたが、もう言えなくなってしまった)

 長崎県に「土谷棚田」というのがある。この土谷棚田に立ったとき、夕日が沈む方向に、中国大陸や朝鮮半島を思い、昔、稲作を携えた人間がこのあたりに船で辿り着いたかもしれないと想像して、わくわくしたものだった。今回は、反対側から見ることができた。そして、棚田や稲作が、韓国や中国大陸と繋がっている、その「文化の連続性」を実感することができた。

 実は、この土谷棚田は、福島という島にある。そして橋で繋がっていて島には見えないところも、偶然だが、韓国の南海島と同じ。 しかも、棚田があるところは「土谷免」というが、この「@@免」という地名がこのあたりには多い。一方韓国河東や海南島には「@@面 (ミョン)」という地名が多く、「免」「面」で漢字は違うが、同じ語源なのではと思ったのだが、どうなのだろうか。

 ところで、河東で2泊させてもらったのは、ジョンさんの友人、トジュさん宅の離れだったが、朝は母屋で朝食をごちそうになった。ダイニングキッチンにはテーブルが置いてある。ただしイスではなく床に座る低いテーブルだ。シンク、冷蔵庫、電気炊飯器が置いてあるダイニングキッチンの雰囲気は日本の家庭とほとんど変わらない。

 ただ朝食が違った。とうぜんながら、韓国では朝からキムチでご飯を食べる。白菜、大根、モヤシのキムチと、野沢菜のような漬け物、大豆の煮物がおかずだ。そして韓国風味噌汁。白いご飯は若干柔らか目に炊いてあったが、キムチがよく合う。あとで身体中が燃えてきて、韓国人がいつも熱くて、歩くのも速い訳がわかった気がした。これは冗談ではない。食物は人間を造る。だからキムチが韓国人の性格とまったく関係ないとも言えないわけだ。

 アジアは稲作発祥の地。ところがアジアでは経済発展してくると、欧米風の食生活にあこがれ、コメをあまり食べなくなり、コメの消費量 が減るという傾向がある、日本はその先陣を切った国だ。韓国でも同じ状況になってきているらしい。パン食が増えれば、当然キムチの消費量 も減ってくる。だんだんキムチを食べない韓国人が現れてくるのだろうか。そうなったとき、韓国人のバイタリティーもなくなっていくかもしれない。でも今のところ、少なくともトジュさん宅の朝食にパンが出されることはないようだ。

 もう一ケ所は、慶尚北道の聞慶郊外の棚田。こちらは南海島の棚田とは違って内陸の山間部にあるが、これまた、日本の棚田百選にあるような雰囲気で驚いてしまった。ここの棚田に、もし目隠しをされて連れていかれて、「さあ、ここはどこでしょう?」と目隠しを取られて、現れた風景を目の前にしたとき、決して自分が外国にいるとは思わないだろう。

 韓国の伝統的な農家も残っている。ある民家の主人、イさんは、「これは4代前に建てられた民家で、200年は経っているでしょう」と説明してくれた。民家は三部屋に別 れていて、土間の台所があった。まん中は地面から60cmほどの高さの床で、居間になっている。ただ外との仕切り(壁や戸)がないので、ベランダといってもいい感じだ。民家の裏庭には井戸と、いろんな大きさの瓶が並んでいた。自家製のコチュジャンや醤油などが保存されている。なにか懐かしいにおいがした。

 全国をまわったあと、ソウルに2泊して、南大門、東大門の市場へでかけ、コメ関係の食品や料理の写 真を撮った。ゲストハウスで40なかばの主人と話をしたとき、棚田の話になったが「今はもうないよ。30年40年前はたくさんあったけどね」といった。

 ソウルでの普通のコメの値段は、10kgで23000ウォン(約2300円)。一番美味しいと評判のコメは、ソウル東部約60kmのヨジュ産米。10kgで28000ウォンだから、普通 のコメよりは少し高い。そして意外にも、空港のある金浦産米、仁川産米もおいしいと言われているそうだ。スーパーで「秋晴」銘柄のコメを見つけたが、ゲストハウスの主人によると、「秋晴」はあまり高いコメの銘柄ではないという。

 ゲストハウスでテレビをみていると、コメの実がならない稲を、早々とブルドーザーで倒したり、田んぼを焼いているシーンが流れた。韓国でも今年(2003年)は冷夏で、コメができないのだという。こんな災害も日本と同じだ。コメ食文化を通 してみる韓国は、すごく近い国に思えてくる。

写真家 青柳健二

 
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